Story Seller 3 沢木耕太郎「男派と女派 ポーカー・フェース」

沢木さんの作品はStory Seller 2に載っていたのとこれしかまだ読んだことがないのです。
Story Seller 2の方は、あまり印象がなかった。
そしてこちらの作品はなんか流れも悪く、全然まとまってなくて悪印象。
まとまってないだけならまだいいけど、そのまとまっていない内容で人の人生を上だの下だのとざっくり評して終わったところが悪印象。
そのついでにさりげに自分を上派っぽくまとめたのも悪印象。
あんまり悪悪言ってるだけだとわるいから、もう少し説明してみよう。以下ネチネチとネタバレ。
まず「初めての体験」というところから始まって、盗難、紅茶、お寿司、靴磨きと来た。のにいきなり「お寿司と靴磨きのことを思い出したのは、この前テレビでたまたまお寿司屋さんと靴磨きやさんのドキュメンタリーをそれぞれ見たからだ」的な説明が入って、流れが壊れる。え、初めてネタの連想じゃなかったの?と。そっちでいくんなら、逆に盗難の初体験エピソードは要らなかったのでは・・・。そこに流れの悪さを感じました。
そして、本題?の男派、女派。「人生で大切なことを男の方から多く教わったか、女の方から多く教わったか」ということのようです。
大好きなお寿司やさんの大将は、どうやら男派らしい。自分は女派のような気がすると。まぁそれはいい。それぞれの人生を振り返ってみての感想ですよね。
で、そこに坂口安吾太宰治壇一雄が登場する。この中で女派は坂口安吾であろうと。なぜなら坂口安吾は女と出会い暮らしを共にしたことで女に新鮮な驚きを感じ、また自分が影響を受けて変化をし、作品にもその影響が見て取れると。これに対して太宰、壇は多くの女と関わりを持っても女によって自己が変化をすることがなかったと。こんなことが書いてあります。へー。とりあえず坂口=女派はわかった。でもそこでそこはかとなく「女派がえらい」的な匂いを漂わせたのは何故なんだろう。女派は影響を受け止め変化する能力と柔軟性を持っている、的な。そして男派の太宰や壇にはそういったもちものがなかった的な気配。
まず太宰や壇に男からの影響があったという言及もないのに男派扱いされているところが謎だし、男か女かという話をしているのにいきなり「柔軟性」とかいった別の軸を持ってくるから話がわけわからなくなる。柔軟性の有無で話すならまず「他者からの影響を受ける派/受けない派」みたいな話になるのでは?
その辺すっとばして「坂口は女派だから柔軟性を持っている、えらい!」みたいな感じで次に進まれるから、単に「自分が女派だからって女派びいき・・・?」みたいな印象だけ残ってしまう。
そして、今度はドキュメンタリーでみた靴磨きさんとお寿司屋さんのはなし。人の靴を丁寧に磨いて子供を育て上げてきて、年をとった今でも靴磨きを続けている、上品で穏やかな話し方をするおばあさん。子供の頃の過酷な状況の中から寿司職人となって長年厳しい修行を積み、年をとった今でも「さらに上を目指す」という気概に満ちているお寿司職人さん。どちらも立派だと。なるほどそうです。ところがそこに「双方立派な職人だが一方は1足の靴を磨いて500〜600円、もう一方は1食で何千円、何万円」という情報がサクリと入り、「どちらかから教えを請うなら靴磨きさんからにしたい」という思いが呟かれる。さらにまたさりげなく「靴磨きのおばあさんの手は労働で荒れたたくましい手、一方銀座のお寿司屋さんの手は女のようなすべすべで美しい手」という情報が入ったり、「なんとなくおばあさんは女派でおじいさんは男派な気がする」とかの根拠ゼロの想像が語られたりして、ついには「なんとなく1足数百円で靴を磨いているおばあさんの方が、「上を上を」といっているおじいさんより人として上をいっている気がする」とかいうことまで言い出す始末。おばあさんが立派だというのはわかる。けどそこでいきなり、公の場所で人の人生を程度の低いものと見積もる必要って何。しかもそれを何のことやら今ひとつわからん「男派」「女派」というワードと絡めて何かしら根拠づけたような雰囲気漂わせて、一体何をどうしたいのか。
知り合いの寿司屋の大将と話してたように「男派かも」「自分は女派かも」ってなんとなくきゃっきゃ楽しく語る程度でよかったのに、内容も詰めないでおいて人間の格付けみたいなことまでし出したから不快なものになりました。
Story Sellerって結構売れてて力入ってるシリーズだと思ってたけど巻頭にこの作品をおいた意味もわからないです。