「臍を噬む」 ってさ

改めてその様子を想像すると「なんで臍なんか??」と不思議になったので、今更ながら調べてみんとす
大辞泉には

《「春秋左伝」荘公六年から。自分のへそをかもうとしても及ばないところから》後悔する。すでにどうにもならなくなったことを悔やむ。「あとで―・んでも遅い」

とあるようだけど、よくわからない…
自分の臍を噛もうとしても→及ばない。は、わかる。確かに噛めない。
しかしまず、何故自分の臍を噛みたいのかが、わからない。
自分の臍が噛めないからといって後悔したことなど一度もない。臍の緒はお医者さんが切ってくれたから問題ないし。
さらに「すでにどうにもならなくなったことを悔やむ」という文章からは「もっと先に手を打っておけば何とかなったのに…」という雰囲気を感じるけれど、自分の臍なんていつどうしていたって噛めなかったでしょ?
「春秋左伝」さんにくわしく教えてもらうべきか…。